戸塚洋二前施設長が、7月10日お亡くなりになりました。

戸塚前施設長は、神岡地下でミューオン束事象の研究により学位を取得後、小柴先生の下で、西ドイツの研究所で電子陽電子衝突実験を行った後帰国、カミオカンデで研究を開始されました。88年に宇宙線研究所に移られ、実験グループを組織しスーパーカミオカンデ(SK)の実現に努力しました。91年にSK建設の概算要求が認められ、また、95年にはスーパーカミオカンデを運用するための神岡宇宙素粒子研究施設が設置され、戸塚さんは初代施設長に就任、スーパーカミオカンデにおける研究のリーダーであるとともに、施設運営にも力を注がれました。

SKは、今や国際共同実験の良いモデルとされていますが、国際協力の強い推進者は戸塚さんでした。アメリカグループが参加したのは、概算要求が認められた年の翌年でした。アメリカグループが持ってくる予算は、日本の予算の10分の1程度だったので、参加できるアメリカ人の数は日本人の10分の1にしろ、という強い意見もあったけれど、それを抑えて。「研究は『経費』ではなく『ひと』だ、『ひと』が新しいものを生み出す」といって、日本人を圧倒する数のアメリカ人を受け入れました。これが、SKの結果が早い時期に広く世界的に認められた大きな要因の一つだったことは間違いありません。最近、たまたま戸塚さんの宇宙線研究所長の退任の辞を見つけました。その中に、某知事さんの言葉を引用して、組織に大切なものは「殿様、姫様、ばか様、外様」で、「ばか様」はどこにでもたくさんいるが、「外様」が実は最も大切なのだ、と言われています。戸塚さんは、自分の弟子とか身内とかの狭い関係にこだわらず、外国人のみならず、日本人の外様も、わけへだてなく対等に扱ったグループ運営をしました。

SKが始まったころのミーティングでは、しばしば解析方法等をめぐり、激しい議論が戸塚さんと戦わされました。日本人もこんなに激しいやりとりをするのだと、外国人研究者がびっくりして、呆然と何も言えなかったことも多くありました。戸塚さんのこの厳しさが、常に緊張感のある研究環境を生み出し、研究の質を高めてゆきました。どの実験グループも解析では内輪もめが起きます。何人もが独立に解析結果を出して互いに譲らなくなってしまいます。SKも日本人グループとアメリカ人グループが独立な解析を行って譲り合いませんでした。この時、戸塚さんは、最初の結果の比較は独立な2グループで行いなさい、ただし「一年後にグループを統合せよ」、と号令を発し、それを見事やりとげました。こうした中、SKの最大の成果であるニュートリノ振動の発見が、98年に発表されました。今年は、それから、ちょうど十年目です。98年以降も、太陽ニュートリノ振動の発見、人工ニュートリノを使った長基線ニュートリノ振動実験による大気ニュートリノ振動の確認と、次々とSKは成果を出してゆきました。

2001年のSKの事故のときの戸塚さんのリーダーシップはSKの共同実験者にとって忘れられないことです。事故直後は、もうこのままSKはだめになる、少なくとも再建には数年はかかると思って、皆、失意のどん底でした。その時、戸塚さんは「一年でSKを復旧する」と、まず外に向けて大きな発信をしました。それから、連日、戸塚さんの部屋に皆集まり、二ヶ月後には再建方法まで決定できました。戸塚さんのリーダーシップなくしては、成し得なかったことです。「外に向けて時限を決めて発信する」ということは、「退路を断って行え」という、戸塚さんが、日頃口にしていたことそのものです。振り返ると、これは、ちょうど戸塚さんの最初の手術から1年目のことでした。

来年の4月には 戸塚さんが待ちに待ったT2K実験が始まります。そのためのSKの電子回路の更新も、今真っ盛りのときです。戸塚さんが切り開いたニュートリノ研究が、さらに一歩踏み出すことになります。

戸塚さんが現役を退いたあとも、様々なアドバイスをいただきました。行き詰まった時に、戸塚さんに相談すると、不思議な事に、見えなかったものが見えてきて、必ず新鮮な気持ちになり、なにかしら意欲が出てくる。まさに「目からうろこ」ですが、どうして毎回そのような気分になるのか不思議でした。しかし、そうした時も、戸塚さんは病気の辛さを、決して我々には見せないようにされていました。

神岡に居られた頃、戸塚さんは、昼休みには茂住の谷合や山を歩くのが日課だったと思います 「君、この花の名前を知っているか」「なんだ、あんた何も知らないね」と 研究以外でもなかなか頭があがりませんでした。ただ、連日の酒だけは良くなかったと思います。夜になると全館放送で、若者が施設長室に呼ばれ飲まされました。私も茂住のアパートにいたころは良く付き合いました。もちろん、これにより、人と人のつながりもよくなり、若い人たちにとっても有意義な面は多くあったと思います。しかし、あまり健康的ではなかったかも知れません。

神岡施設の宿泊棟の横に戸塚さんが手植された「ひめしゃら」の木があります。8年前、ちょうど発病された時期に神岡に持ってこられたものです。今では、背丈の二倍ほどの高さになっており、新しい若葉がたくさん出ています。

戸塚さん、どうか安らかにお休みください。

平成20年7月

東京大学宇宙線研究所・神岡宇宙素粒子研究施設長

鈴木洋一郎