建設にまつわるエピソード

カミオカンデ建設

1983年に実験を開始したカミオカンデ実験の当初の目的は「陽子崩壊の探索」でした。陽子崩壊が観測されれば、「力の大統一理論」が証明できます。その大目的に向かって実験が始まりました。当時、アメリカでは、既にIMB (Irvine Michigan Brookhaven)グループが7000トンの陽子崩壊探索実験装置を作り、観測を開始していました。IMBとカミオカンデは、陽子崩壊の第1発見を目指して、しのぎをけずっていました。カミオカンデ実験を始めるにあたり小柴先生は、「陽子崩壊を発見することは大切だが、更に一歩進めて、物理学が進歩するためにはどのような大統一理論のモデルが正しいかを調べることが必要となる。そのためには、ある特定の崩壊モードだけでなく、様々な崩壊モードを調べ、どの崩壊モードにどれだけの割合で崩壊するかまで測定できなければならない。それを行うためには、エネルギーの決定精度が良く、また粒子の種類がわかるような測定器でなければならない。」と考えられました。そして、当時常識的には考えられないような直径50cmの巨大な光電子増倍管を浜松テレビ(当時、現在の浜松ホトニクス)との共同で開発されました。

Kamiokande II へのアップグレード

カミオカンデは、当初、陽子崩壊を目的としていたため、高いエネルギーの現象(30MeV以上)のみしか観測を行っていませんでした。小柴先生は、カミオカンデの観測が開始されるとすぐに、宇宙線ミューオンが測定器内で止まり、崩壊して生成された電子のスペクトルが10MeV以下まできれいに見えていることから、もっとエネルギーの低い現象も観測できるに違いないということを見抜き、1984年から太陽ニュートリノ観測を目指して装置の改良が行われました。その改良が最終段階に達した1987年2月23日に大マゼラン星雲で起きた超新星爆発からのニュートリノを世界で初めて捕らえたのです。小柴先生の東京大学定年退官の1ヶ月前ということで、「小柴先生は運がいい」とよく言われていましたが、小柴先生は「運は、よく準備されている実験装置に訪れるものだよ」とおっしゃっていました。太陽ニュートリノを捕らえようとする努力をしていなかったら超新星爆発ニュートリノは捕らえられなかったでしょう。
 

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revised on 2002/10/25 webmaster@suketto.icrr.u-tokyo.ac.jp